カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート セルフケアのために ~こころの整理に役立つお話 http://nara-kiki.com/contents_73.html *あなたがあなたらしくあるために、《ボイスアート》で「自分軸」を育てよう* *あなたの心とからだの健康を全力で応援します* *人間関係、トラウマ、セクシャルマイノリティ、性格、キャリア...など* ja-JP カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート アンガーマネージメント(anger management) http://nara-kiki.com/contents_154.html 最近、「アンガーマネージメント」という言葉をよく聞くようになりました。この記事をお読みの方の中にも、この言葉を聞いたことがある方もおられるかもしれません。ひとは生きていてこそ、様々な感情を持つものですが、その中でも「怒り」の感情は、パワフルでエネルギーがあります。 感情にいい、悪いはなくて、「怒り」という感情も、ひとが生きている中で、様々な体験をする中で、そして人間関係の中で、当然、味わったり、持ったりするものです。 ただ自分の「怒り」の感情を、上手く取り扱えずに、自分の心に溜め込んだり、あるいは「怒り」に任せて他人にそのエネルギーを発散すると、自分自身の心身を害したり、あるいは他者の心身を害する、ということがあります。 それが例えば、親子関係では「虐待」という形で現れたり、友人同士では「いじめ」という形だったり、職場での「パワハラ」という形だったり。もっと大きな規模であれば民族間紛争、国家間の戦争であったり。個人レベルでいえば、自分の心身に表れると、うつ病などの精神疾患、極まった形では自殺など。 なので、「怒り」という感情(エネルギー)とのつきあい方、上手に回していくためのコツ、みたいなものがあるのです。 -------------------------------------------------------- 女性ライフサイクル研究所Felian(フェリアン・窪田容子所長)主催の「虐待防止のグループ援助を学ぶ~PAM(Peaceful/Parental Anger Management)実践者養成講座」を受講してきました。 最近はいろんな研究や、いろんな方法が考えられていて、PAM(Peaceful/Parental Anger Management)もその1つの方法だと言えます。 このテキストをもとに、特に親子関係において、親が自分の怒りの感情をどう扱うのかそのことに関心のある(特に親の立場の)ひとたちが、グループで学び合うことを、援助する実践者としての研修でした。 援助実践者としての研修でしたが、わたし自身の子育ても振り返りつつ、あらためて、自分の怒りをどう扱うのか、PAM(Peaceful/Parental Anger Management)は一つの方法として、有益な研修だったように思います。 ↓「怒りのプロセス」の図を見てください。 (「子ど… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-10-15T23:40:46+09:00 問題を抱える、ということ http://nara-kiki.com/contents_148.html 人生、生きていると「いろんなこと」があるというのは、誰しも同じ。 「いろんなこと」が「(自分にとっての)問題」だと認識し、自分がそれと取り組んでいこう、という意思をもってはじめて、その問題と取り組んでいくことができます。 「問題」だと’認識’する…と言いましたが、問題として’認識’されるその前に、これは困ったことだぞ、とかこんなことが起きてどうしよう、と焦ったり、困惑したり、そのことが起きることで、辛かったり、悲しかったり、怒りがわいたり、ぼう然としたり、…みたいな、自分にとってどちらかというと、なにかしら、ネガティブな感情や感覚が起こっているはずです。 ときには「なにがどう問題なのか」が明確でないけれど、なんだか生き辛い…しんどい…「気分」や「身体の不具合」として、表れることもあります。 なにが「問題」なのか、自分はその問題を解決してなにを得たいのか、解決のための方法や手立てはなにか、それが明確で、自分でもわかっているそして、自分も解決したい、解決しよう…という意思があれば、比較的、コトは簡単です。 あとは、自分が決めた自分の選択にしたがって、なんらかの「行動」するのみ。  (あ、わたしのここで言う「行動」というのは、  単に何かをする、など、動き回ることだけを言っているのではありません。  場合によっては「何もしない」という「行動」もありき、なんです) …と、そこまでわかっていても、行動がともなわない、あるいは、どうもうまく行かない…という場合には、「行動がともなわないこと」自体が、すでにその人にとっての「問題」かもしれません。 あるいは最初に考えた方法や手立てに無理があったり、やり方を変える必要があるのかもしれません。 さらに言うならこれは「問題だ」と思ったコトは、本当のところは、当人は困っていない、単に「モンダイにしてみたかっただけ」のコトである あるいは、心の底ではその「問題」とは向き合いたくない、と思っている…のかもしれません。 または当人にとって、向き合うタイミングではない、ということもあります。 他人から注目してほしい、わたしに気づいてほしい、ということから、なかには、いわゆる何らかの「問題行動」を起こすことで、周囲のひとが「問題」だと思う行動をする人がいます。 これなどは、周囲のひとは迷惑するけれど、当人はまったく困っていない…というケースです。… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-10-02T15:41:01+09:00 コダマする世界 http://nara-kiki.com/contents_147.html ふと、想像してみました。わたしが生きているのはコダマする世界そんな世界に独り生きているとしたら?わたしが「あぁ」と発するとどこからともなく「あぁ」とかえってくるわたしが「わたしはだれ」と問うとどこからともなく「わたしはだれ」とかえってくるわたしが「わたしは苦しい」と呻くとどこからともなく「わたしは苦しい」とかえってくる永遠に応(こた)えがない世界永遠に廻り続ける世界否定されることはないが肯定もされない世界無音の世界だ固まった世界だ 応(こた)えがあるというのはちょっとしたズレがあるということだ不完全さがあるということだそのズレに、不完全さにひとは「わたしが何者か」を見出し救いを感じるのではないか「わたし」とズレて、不完全に応(こた)えてくれるそういう「あなた」が必要だ カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-22T17:33:49+09:00 コダマする世界 http://nara-kiki.com/contents_145.html ふと、想像してみました。わたしが生きているのはコダマする世界そんな世界に独り生きているとしたら?わたしが「あぁ」と発するとどこからともなく「あぁ」とかえってくるわたしが「わたしはだれ」と問うとどこからともなく「わたしはだれ」とかえってくるわたしが「わたしは苦しい」と呻くとどこからともなく「わたしは苦しい」とかえってくる永遠に応(こた)えがない世界永遠に廻り続ける世界否定されることはないが肯定もされない世界無音の世界だ固まった世界だ 応(こた)えがあるというのはちょっとしたズレがあるということだ不完全さがあるということだそのズレに、不完全さにひとは「わたしが何者か」を見出し救いを感じるのではないか「わたし」とズレて、不完全に応(こた)えてくれるそういう「あなた」が必要だ カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-22T17:33:49+09:00 「お待ちしています」 http://nara-kiki.com/contents_142.html カウンセリングにおいて、これはカウンセラー側の立場からの話ですが、「待つ」という行動がとても重要です。 敢えて、「待つ」という行動、と書きました。 一見、待っているだけ、って何もしていないようですが、カウンセラーは、「どのように」クライエントを待っているのか、カウンセラーは、自分自身について洞察することが、大切なのだと思います。 (↑画像にリンクを貼ってあります) ふと、わたしの手元にある本に書かれていた言葉を、思い出しました。  「待つ」ことは、けっして「放任」でもなければ、受身的な行為でもない。  それはぎりぎりの信頼からなりたっているように思われる。               (「カウンセリングでなにがおこっているのか」 P.58)   次に来るかどうかわからないクライエント、  このまま返していいのだろうかと悩むクライエントに対しても、  祈りつつ、「(ともかく)またお待ちしています」と伝える。  「待つ」ことは、カウンセラーにとって、最後の祈りなのだと思う。(同著 p.62) 同著には、カウンセリングの現場で「あう」ということにも触れている。神田林條治氏の引用から   面接の本質は二人の人間の『出会い』である (同著 p.64)「待つ」ということも、「あう」ということも、日常の時間のなかでもあることですが、 カウンセリングの場は非日常的といいつつも、日頃、無意識にやっていることが、非常に研ぎ澄まされた形で見えてくる…そんな場なのかもしれません。それはカウンセラーにとっても、会ってくださるクライエントにとっても。自分がどのように生きているのか、そしてどのように生きていきたいのか、それを確認する場、とも言えると思います。 カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-15T16:56:58+09:00 オーセンティックボイス ~ 本来の自分の声について http://nara-kiki.com/contents_141.html ボイスアートをお伝えしているわたしとしても、とても関心をもって、読みました。ご紹介です。 ーーーーーーーーーー 著者によると、日本人女性の声が世界各国の女性の声と比較しても、かなり高いのだそう。 そしてそこには、日本社会に根強くある「女は可愛く、従順であると好かれる」という価値観に、女性が大きく影響を受けているらしいのです。 「声」というのは、言わずもがな唯一無二のもの。 体型も違えば、声帯も1人ひとり違う。その1人ひとり違った身体があってこその、わたしの声。 どんなに「あの人」の声に憧れて、同じように声を出したくても、決して同じ声になることはないのです。 自分本来の声をなおざりにして、自分自身の声に耳を傾けることなく、周りの「価値観」に合わせた声を出していると、どうなるのでしょうか? 自分の心と身体はバラバラ。疲れる、いつも、なんだか落ち着かない… 筆者は、日本の若い女性の上ずったような高い声を「クレーン声」と名づけています。 最近では、若い男性ですら、地に足がついていないような、この「クレーン声」がよく聞かれる、と述べています。 自分がどのような声を出しているのか、そのことに無自覚に、自分本来と一致しない、他者に合わせた意識から声を出し続けていると、そのことが、そのひとの生活や生き方、その人の在り方に大きく影響していくでしょう。 ※ 本書では「声」そのものについて、日本の学校教育の中では取り上げられることがない、  そのことへの問題も言及しています。 本書の中には、筆者が関わったひとで、自分本来の声(オーセンティックボイス)を取り戻していった人たちが、どのように変化していったか、そんな例も取り上げられています。 それから、自分本来の声(オーセンティックボイス)に気づき、取り戻していくのに、最善のトレーナーは自分自身だとも。 自分の声は嫌い録音した自分の声を聞くのは、嫌だというひとは、多いです。わたしもよく、そのような言葉を聞きます。 しかし、著者はまずは「客観的」に、録音した自分の声を聴くことを勧めています。 最初は、どんなに「うへっ!!」と自分の声のことを思っても、どこかに、そのひと本来の声(オーセンティックボイス)で話している部分があって、それは自分にとって、自然で好ましく思える部分なのだそうです。 そのときの、自分の身体の状態やシチュエーションを思い出し… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-04T13:10:20+09:00 オーセンティックボイス ~ 本来の自分の声について http://nara-kiki.com/contents_138.html ボイスアートをお伝えしているわたしとしても、とても関心をもって、読みました。ご紹介です。 ーーーーーーーーーー 著者によると、日本人女性の声が世界各国の女性の声と比較しても、かなり高いのだそう。 そしてそこには、日本社会に根強くある「女は可愛く、従順であると好かれる」という価値観に、女性が大きく影響を受けているらしいのです。 「声」というのは、言わずもがな唯一無二のもの。 体型も違えば、声帯も1人ひとり違う。その1人ひとり違った身体があってこその、わたしの声。 どんなに「あの人」の声に憧れて、同じように声を出したくても、決して同じ声になることはないのです。 自分本来の声をなおざりにして、自分自身の声に耳を傾けることなく、周りの「価値観」に合わせた声を出していると、どうなるのでしょうか? 自分の心と身体はバラバラ。疲れる、いつも、なんだか落ち着かない… 筆者は、日本の若い女性の上ずったような高い声を「クレーン声」と名づけています。 最近では若い男性ですら、地に足がついていないような、この「クレーン声」がよく聞かれる、と述べています。 自分がどのような声を出しているのか、そのことに無自覚に、自分本来と一致しない、他者に合わせた意識から声を出し続けていると、そのことが、そのひとの生活や生き方、その人の在り方に大きく影響していくでしょう。 ※ 本書では「声」そのものについて、日本の学校教育の中では取り上げられることがない、  そのことへの問題も言及しています。 本書の中には、筆者が関わったひとで、自分本来の声(オーセンティックボイス)を取り戻していった人たちが、どのように変化していったか、そんな例も取り上げられています。 それから、自分本来の声(オーセンティックボイス)に気づき、取り戻していくのに、最善のトレーナーは自分自身だとも。 自分の声は嫌い録音した自分の声を聞くのは、嫌だというひとは、多いです。わたしもよく、そのような言葉を聞きます。 しかし、著者はまずは「客観的」に、録音した自分の声を聴くことを勧めています。 最初は、どんなに「うへっ!!」と自分の声のことを思っても、どこかに、そのひと本来の声(オーセンティックボイス)で話している部分があって、それは自分にとって、自然で好ましく思える部分なのだそうです。 そのときの、自分の身体の状態やシチュエーションを思い出して… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-04T13:10:20+09:00 メンタル強くする、ってどういうこと? http://nara-kiki.com/contents_135.html クライエントさんのお話をうかがっていると、ときおりこんな言葉が出てきます。  メンタル弱いから、強くなりたい  メンタル弱い自分は、ダメ う~んわたしは決して、強靭な精神力の持ち主、メンタル強いとは言い難い…実はわたしなりの人生の節目で、何回か心身症状が出るくらいまで、落ち込んでウツになりました。わたしは、「頑張れば…努力すればなんでもできる」と、自分で自分に拍車をかけて、頑張りすぎる傾向があったんだと思います。「やればできる」は母がわたしに刷り込んできた言葉でした。ひとって「やればできる」こともあればときに、どんなに頑張ったって「できないこと」だってある、ってこと。自分の思い通りにならないことがある、ってこと。最近、思うのです。落ち込んでも、(あ、最近はそんな風に落ち込むことは、少なくなりましたが)こんな自分はあかんなぁ、みたいに思うことがあっても、またなんか上手くいかない、とかね、あ~これ、どうなっちゃうんだろう、とか不安に駆られたり、とかまいろいろ思うこともあるわけですがそんなときの自分とのつきあい方が、ちょっと上手くなったかなメンタル、弱くてもいいんじゃない?大事なのは、自分で自分に✖(バツ)をつけないことだと、思うのね。「わたしの応援団」はたくさんいてくれたら、それはそれで、幸いなことだけど、一番の「わたしの応援団」はワタシだと、思うから。 カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-08-31T23:57:00+09:00 心の庭 ~ ライブを終えて 味わっていること ~ http://nara-kiki.com/contents_134.html どんなことでも「はじめて」って、緊張するもんです。 誰にでも「はじめて」はあるわけで、その「はじめて」は一回しかない時間だから、「はじめて」だからこそ、体験することもあるわけで、そういう意味では、とっても貴重な「はじめて」 ここまで年齢を重ねてきて、久しぶりに「はじめて」の時間を終えて、今日は1日、終えたあとの時間をじっくり味わいました。 そんななかでも、わたしにとってシンクロして起こった出来事があって、あ~、やっぱりここは大切に押さえておかなきゃね...って思ったことがあるので、少し書いてみたいと思います。 ------------------------------------生きていると、自分を取り巻くひとたちと、いろんな事柄も起きたり、それはいい思いも、苦しい思いも含めて、ひとが生きているだから、当たり前ね。 ただ...あ!なんだ、これ?どう、対応しよう?って思ったとき。 あるいは...その行動の指針になること、っていうのか、どんな風にわたしの心を整理したらいいんだろう、って思ったとき。 まず自分の言動を一致させること。 (自分の心で思っていることと、 口に出して言うことと、行動が一致しているか?)  ※自分なりの理由や納得のもとに、一致していないことを意識しつつ、   状況を考慮して言動不一致なことを敢えてする、ということはあるかもしれませんが。 ↑自分の「心のクセ」として、無意識に言動不一致なことをすると(例えば、礼儀としてはこうすべき、とか、他人からよく見られたいから、とか)多分、ほかでもない自分の心にモヤモヤしたものが残る...ハズ。 ただし「自分の心で感じていること」は 頭で考えて「こうあるべき」というようなことではありません。 ある体験を前にして、自分が「素直に」こんな風に感じた...それに対して、自分をジャッジすることなく、ただただ自分の心とまっすぐ向き合ってみる...このことがキモなんですが。(ここをスルーすると、自分が見えなくなります) その上で今、自分が体験していることで自分がムリをしていたり、自分の心に背いて、 「みんながそんな風にしていることだから」とか「社会通例的にはこんなふうにするでしょ」とか「常識的には(これ!結構キケン!)こうだから」とか「他人に嫌われるの、嫌だから」とか 結局はそういうことを理由にして、とりあえず無難にす… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-08-28T01:27:31+09:00 「許せないという病」(片田珠美 著)より http://nara-kiki.com/contents_124.html ひとは生きていく上で、さまざまな人間関係において、「許せない」という、強い感情に見舞われる経験をすることがある。 クライエントさんの話を聴いていても、友人の話を聴いていても、また、わたし自身の経験においても、「許せない」想いをする経験は、珍しいことではない。 そんなことを考えていたら、この本に出逢った。著者は精神科医だが、書かれている内容は学術的なことではなく、さらっと読める。 ラカン派の精神分析を学んだ、ということで、精神分析の概念を使って説明している箇所もあるが。 著者自身が、祖母や母を「許せない」と強く思うことで、悩んでいることが、本書を記すきっかけになっているようだ。 目次は 第1章 他人を許せなくて悩んでいる人たち第2章 なぜ「許せない」のか?第3章 「許せない」を引きずる人の特徴第4章 「許せない」という病から抜け出すための4つのステップ第5章 「許せない」自分を許すために という章立てになっている。---------------------------------文中に興味深い例え話があった(本書 58頁) 夜道、強盗からバックを奪われた際に、ナイフで腕を傷つけられたとして、傷つけた強盗が、あなたを治療してくれるだろうか? 否。 軽ければ、自分で応急処置もできようが、重症の場合は、そんなわけにもいかず、治療してくれるのは医師や看護婦であり、強盗ではない。 同じく、心に傷を受けた場合も、あなたに傷を与えた当の相手が心の傷を癒してくれるわけではない。 相手の謝罪や許しを乞うのを待っていて、自分が許すか許さないかを決めるのは、宝くじに当たるのを待っているようなもの。それでは、自分の人生は相手次第ということになる。 それより、相手がどうあろうと、自分の人生を自分の手に取り戻し、充実した人生を送ることのほうが、相手への「最大の復讐」になるのではないか… ※実は、ここで「最大の復讐」という表現自体が、 まだ、相手へのこだわりがあるようで、「復讐」という言葉に違和感を感じたが… --------------------------------- 本書で提唱されている「許せない」から抜け出す4つのステップ、というのは、なるほどなと思わせるところがある。 「許せない」と思うことの裏側には、多くは、自分が傷つく体験がある。 だから、まずは ①「傷つき」を認識すること。 … カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-07-25T01:16:47+09:00