カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート セルフケアのために ~こころの整理に役立つお話 http://nara-kiki.com/contents_73.html *あなたがあなたらしくあるために、《ボイスアート》で「自分軸」を育てよう* *あなたの心とからだの健康を全力で応援します* *人間関係、トラウマ、セクシャルマイノリティ、性格、キャリア...など* ja-JP カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 足元に蓮の花咲く http://nara-kiki.com/contents_166.html 休みの日、近所の神社の境内にある銀杏の葉に、きらきらと光が反射していました。 秋の日の光が、冴えて澄みわたっている日でした。紅葉狩りに遊びにいく間がなくて、でも身近でこんなに美しく色ついた景色を見せてもらって、ありがたいことでした。 さて、11月の初旬に、高野山の布教師である浅田慈照尼さんのお宅へ伺いました。世に有名な「般若心経」について、教えていただきに訪ねました。 「般若」というのは「いい意味で、’諦める’智慧」のことらしいです。その智慧について、説かれているお経のようですが、なにぶんにわたしの理解が浅く、ここで長々と書く事ができません。 ただ、最初に、浅田慈照尼さんが「般若心経は1人称-現在形であり続けるためのお経」だと仰ったのが、わたしの心に残りました。 また「ひとが自分で選んで歩いてきた、その道が正しい。 蓮の花の上を選んで歩く、のではなく、 足を置いた所に蓮の花がある…そのように歩くのだ」とも。 そのように、ひとの歩みの1歩1歩が、美しく、尊いものなのだなぁ、と。 なんと美しいイメージでしょうね。絵に描いてみたくなりました。 カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-11-25T01:23:47+09:00 ぼんやり眺める http://nara-kiki.com/contents_165.html ↑この写真...前夜から霧が立ち込め、朝も霧に包まれていた日がありました。 霧のせいで、太陽の光がぼんやりとしているし、周りの景色も見えない。 しかしかえって、太陽の輪郭がはっきりと、太陽が月のように丸く見えるのが、とてもオモシロイと思いました。明るい朝なら見えないモノを、見ることができました。 ---------------------------------- 日常生活の中で、ありませんか?そういうこと... 見すぎないからこそ、見える、みたいな。 「見てやろう、見るぞ!」みたいな「力み」がないから、ぼんやりとした中から、「ハッ」と見える、みたいな。 こういうときの身体の状態、ってどうなっているでしょうね? 多分、歯を食いしばったり、息をつめたりしていないと思います。 むしろ、口角はだらしなく緩み(笑)、呼吸はゆったり、ではないかな。 「ぼんやりのムコウ」に見えてくる「気づきの瞬間」は、とてもexciting! といっても、ソレを「狙う」とまた、逃げていくんですけどね... ぼ~んやり眺める...なかなかエエもんですよ。---------------------------------- カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-11-16T16:18:26+09:00 ぼんやり眺める http://nara-kiki.com/contents_162.html ↑この写真...前夜から霧が立ち込め、朝も霧に包まれていた日がありました。 霧のせいで、太陽の光がぼんやりとしているし、周りの景色も見えない。 しかしかえって、太陽の輪郭がはっきりと、太陽が月のように丸く見えるのが、とてもオモシロイと思いました。明るい朝なら見えないモノを、見ることができました。 ---------------------------------- 日常生活の中で、ありませんか?そういうこと... 見すぎないからこそ、見える、みたいな。 「見てやろう、見るぞ!」みたいな「力み」がないから、ぼんやりとした中から、「ハッ」と見える、みたいな。 こういうときの身体の状態、ってどうなっているでしょうね? 多分、歯を食いしばったり、息をつめたりしていないと思います。 むしろ、口角はだらしなく緩み(笑)、呼吸はゆったり、ではないかな。 「ぼんやりのムコウ」に見えてくる「気づきの瞬間」は、とてもexciting! といっても、ソレを「狙う」とまた、逃げていくんですけどね... ぼ~んやり眺める...なかなかエエもんですよ。♪゜・*:.。. .。.:*・。♪【ボイスアートグループレッスン@なら】11月19日(日)13:30~15:30 開催します♪わたしがわたしに還る時間です。自分の息と声に集中して耳を傾け、みずからの心と身体を癒していきます。深い自分と繋がることで、さらに自分の可能性にも気づいていきます。 自分の息や声を使って、日ごろの心の疲れのデトックス! 会場は、和の落ち着きと癒しを感じる「ギャラリーと学びの町家 月眠」さんです。 ふぅ~と、一息つきにいらっしゃいませんか。 自分の息や声を使ってできるセルフセラピーへの一歩。お待ちしていますヽ(*´∀`)ノ必要な方に、タイミングで 「自分に還る時間」をご一緒できましたら、嬉しく思います。皆さまのご参加を心より、お待ち申し上げております。 〇 グループレッスン内容ボイスアートってなぁに?ボイスアートの基本呼吸法を体験してみよう自分の声を使って、遊んでみようボイスアートグループレッスンの場には、競争や評価がありません。徹底的に「ひとに合わせない」ことで、自分と他者との「調和」を体験します。そして自分の息や声を使うセルフセラピーなので、依存性もありません。開催日時2017年11月19日(日) 13時30分~15時… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-11-16T16:18:26+09:00 つれづれに想うこと http://nara-kiki.com/contents_160.html 先週は、橋本~高野山へボイスアートの仲間とともに出かけました。光三寳荒神のご住職、あるいは高野山・金剛峯寺の布教師の浅田慈照尼とお会いし、貴重なお話を伺ったり... あるいは、ゲシュタルト療法ワークショップで、自分の夢を味わう時間をもったり、と学びの週でした。 まとめてみたいことは、たくさんありますが、自分自身が消化することに、時間がかかっています(笑) ---------------------------------ん~ひとことで言うと... どんなひとも、自分が自分で選んだことは、そのひとにとって正しい。(そして正しいか、正しくないか、そんな評価すら不要かも?) どんなひとも自分が生きていくための智慧を、本来もっていて、その智慧の声を「大したことではない」と、無視しないこと(多くの場合、その智慧はあまりに普通すぎたり、一見些細なことにしか見えない場合もあるから) 「どうあっても、わたしは現に、こうして生かされている」これが「今、わたしが生きている」ということへの、答えだということ。 あ「ひとこと」じゃないですね...(笑)↑↑ ---------------------------------余談です。先日、娘(長女)が言いました。 彼女いわく「世の中に、'わたしが生きている意味はなにか'、って 考えすぎて、悩むひとがいるけど、 現に息して、こうやって生きているんだから、考えていてもしゃーないと、思うんやけどな...」 彼女は、我が娘ながら、かなり'現実的'な人間で(笑)およそスピリチュアル的なものには、あまり興味がない(苦笑) 彼女なりに、いろいろと悩みなどもあるのでしょうが、基本、長く悩まないタイプ...のようで。 ときおり、彼女らしい淡々とした態度に、ホッとするわたしです。 ♪゜・*:.。. .。.:*・♪♪゜・*:.。. .。.:*・♪ カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-11-16T14:57:43+09:00 「精神障害者を取り巻く社会について」~ ’こころのサポーター講座’ より http://nara-kiki.com/contents_159.html タイトルが、エラく硬いですね(苦笑) 先日、地域の社会福祉協議会が主催する講座(無料)があり、参加してきました。 受講は一般市民が対象の講座で、今回は「うつ病」「統合失調症」の理解、また、疾患を抱えた方に対して、周りの方々、地域の方々ができることを考えるための講座でした。非常にわかりやすかったです。 わたしたちカウンセラーも、その学びの中で、カウンセリングそのものの学びとともに、精神疾患の基礎的な部分は、学びます。 しかし、恥ずかしながら、自分が住んでいる地域の様々な現状や実態、といったものに、わたしはまだまだ勉強不足で、そのことについて、少しでも情報や学びがあれば、と思い受講させていただきました。 ----------------------------------------------- 3回ある日程のうち、この記事タイトルの講座名がついたのは、2日目の内容でした。 当日は、・地域の精神障害を抱える方を支援する施設の所長(ソーシャルワーカー)さん・統合失調症の患者さん本人・家族に統合失調症の患者をもつご家族という、3名の方のナマの声を聞くことができました。 わたしは現在、奈良県で暮らしておりますが、当地は「精神医療」や「精神福祉」に関しては、かなり遅れている地域なのだそうです。 なんとなく、自分の住む地域の現状に対しても、うっすらとは感じるものはありましたが、実際にお話を聞くと、精神疾患に対しての偏見をなくしていくというのは、大変なことだなぁ…という感想を持ちました。 因みに、お話いただいた所長さんの施設では、現在、54名ほどの利用者さんがおられるそうですが、それに対して、所長さんともう一名のスタッフで、対応していらっしゃるそうなのです!(え~っ) 当日の参加者さんの感想でも、 「お話を聞かせていただいて、病気に対する理解も少しは進んだ。 地域で身近に精神疾患を持った方たちがいれば、ぜひ自分ができることをしたい、とは思う。 しかし、理解者を増やすためには、こういった講座や、 当事者からの発信がもっとないと、なかなかわかり辛いことですね」 というものもありました。 お話くださった施設の所長さんは 「本当におっしゃる通りです。当事者側からの発信が大切なのも、痛感しています。 ところが、日々の業務に追われて、なかなか’発信’までは手が回らないのが現状で…」と。 そ… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-10-31T17:22:21+09:00 アンガーマネージメント(anger management) http://nara-kiki.com/contents_154.html 最近、「アンガーマネージメント」という言葉をよく聞くようになりました。この記事をお読みの方の中にも、この言葉を聞いたことがある方もおられるかもしれません。ひとは生きていてこそ、様々な感情を持つものですが、その中でも「怒り」の感情は、パワフルでエネルギーがあります。 感情にいい、悪いはなくて、「怒り」という感情も、ひとが生きている中で、様々な体験をする中で、そして人間関係の中で、当然、味わったり、持ったりするものです。 ただ自分の「怒り」の感情を、上手く取り扱えずに、自分の心に溜め込んだり、あるいは「怒り」に任せて他人にそのエネルギーを発散すると、自分自身の心身を害したり、あるいは他者の心身を害する、ということがあります。 それが例えば、親子関係では「虐待」という形で現れたり、友人同士では「いじめ」という形だったり、職場での「パワハラ」という形だったり。もっと大きな規模であれば民族間紛争、国家間の戦争であったり。個人レベルでいえば、自分の心身に表れると、うつ病などの精神疾患、極まった形では自殺など。 なので、「怒り」という感情(エネルギー)とのつきあい方、上手に回していくためのコツ、みたいなものがあるのです。 -------------------------------------------------------- 女性ライフサイクル研究所Felian(フェリアン・窪田容子所長)主催の「虐待防止のグループ援助を学ぶ~PAM(Peaceful/Parental Anger Management)実践者養成講座」を受講してきました。 最近はいろんな研究や、いろんな方法が考えられていて、PAM(Peaceful/Parental Anger Management)もその1つの方法だと言えます。 このテキストをもとに、特に親子関係において、親が自分の怒りの感情をどう扱うのかそのことに関心のある(特に親の立場の)ひとたちが、グループで学び合うことを、援助する実践者としての研修でした。 援助実践者としての研修でしたが、わたし自身の子育ても振り返りつつ、あらためて、自分の怒りをどう扱うのか、PAM(Peaceful/Parental Anger Management)は一つの方法として、有益な研修だったように思います。 ↓「怒りのプロセス」の図を見てください。 (「子ど… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-10-15T23:40:46+09:00 問題を抱える、ということ http://nara-kiki.com/contents_148.html 人生、生きていると「いろんなこと」があるというのは、誰しも同じ。 「いろんなこと」が「(自分にとっての)問題」だと認識し、自分がそれと取り組んでいこう、という意思をもってはじめて、その問題と取り組んでいくことができます。 「問題」だと’認識’する…と言いましたが、問題として’認識’されるその前に、これは困ったことだぞ、とかこんなことが起きてどうしよう、と焦ったり、困惑したり、そのことが起きることで、辛かったり、悲しかったり、怒りがわいたり、ぼう然としたり、…みたいな、自分にとってどちらかというと、なにかしら、ネガティブな感情や感覚が起こっているはずです。 ときには「なにがどう問題なのか」が明確でないけれど、なんだか生き辛い…しんどい…「気分」や「身体の不具合」として、表れることもあります。 なにが「問題」なのか、自分はその問題を解決してなにを得たいのか、解決のための方法や手立てはなにか、それが明確で、自分でもわかっているそして、自分も解決したい、解決しよう…という意思があれば、比較的、コトは簡単です。 あとは、自分が決めた自分の選択にしたがって、なんらかの「行動」するのみ。  (あ、わたしのここで言う「行動」というのは、  単に何かをする、など、動き回ることだけを言っているのではありません。  場合によっては「何もしない」という「行動」もありき、なんです) …と、そこまでわかっていても、行動がともなわない、あるいは、どうもうまく行かない…という場合には、「行動がともなわないこと」自体が、すでにその人にとっての「問題」かもしれません。 あるいは最初に考えた方法や手立てに無理があったり、やり方を変える必要があるのかもしれません。 さらに言うならこれは「問題だ」と思ったコトは、本当のところは、当人は困っていない、単に「モンダイにしてみたかっただけ」のコトである あるいは、心の底ではその「問題」とは向き合いたくない、と思っている…のかもしれません。 または当人にとって、向き合うタイミングではない、ということもあります。 他人から注目してほしい、わたしに気づいてほしい、ということから、なかには、いわゆる何らかの「問題行動」を起こすことで、周囲のひとが「問題」だと思う行動をする人がいます。 これなどは、周囲のひとは迷惑するけれど、当人はまったく困っていない…というケースです。… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-10-02T15:41:01+09:00 コダマする世界 http://nara-kiki.com/contents_147.html ふと、想像してみました。わたしが生きているのはコダマする世界そんな世界に独り生きているとしたら?わたしが「あぁ」と発するとどこからともなく「あぁ」とかえってくるわたしが「わたしはだれ」と問うとどこからともなく「わたしはだれ」とかえってくるわたしが「わたしは苦しい」と呻くとどこからともなく「わたしは苦しい」とかえってくる永遠に応(こた)えがない世界永遠に廻り続ける世界否定されることはないが肯定もされない世界無音の世界だ固まった世界だ 応(こた)えがあるというのはちょっとしたズレがあるということだ不完全さがあるということだそのズレに、不完全さにひとは「わたしが何者か」を見出し救いを感じるのではないか「わたし」とズレて、不完全に応(こた)えてくれるそういう「あなた」が必要だ カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-22T17:33:49+09:00 「お待ちしています」 http://nara-kiki.com/contents_142.html カウンセリングにおいて、これはカウンセラー側の立場からの話ですが、「待つ」という行動がとても重要です。 敢えて、「待つ」という行動、と書きました。 一見、待っているだけ、って何もしていないようですが、カウンセラーは、「どのように」クライエントを待っているのか、カウンセラーは、自分自身について洞察することが、大切なのだと思います。 (↑画像にリンクを貼ってあります) ふと、わたしの手元にある本に書かれていた言葉を、思い出しました。  「待つ」ことは、けっして「放任」でもなければ、受身的な行為でもない。  それはぎりぎりの信頼からなりたっているように思われる。               (「カウンセリングでなにがおこっているのか」 P.58)   次に来るかどうかわからないクライエント、  このまま返していいのだろうかと悩むクライエントに対しても、  祈りつつ、「(ともかく)またお待ちしています」と伝える。  「待つ」ことは、カウンセラーにとって、最後の祈りなのだと思う。(同著 p.62) 同著には、カウンセリングの現場で「あう」ということにも触れている。神田林條治氏の引用から   面接の本質は二人の人間の『出会い』である (同著 p.64)「待つ」ということも、「あう」ということも、日常の時間のなかでもあることですが、 カウンセリングの場は非日常的といいつつも、日頃、無意識にやっていることが、非常に研ぎ澄まされた形で見えてくる…そんな場なのかもしれません。それはカウンセラーにとっても、会ってくださるクライエントにとっても。自分がどのように生きているのか、そしてどのように生きていきたいのか、それを確認する場、とも言えると思います。 カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-15T16:56:58+09:00 オーセンティックボイス ~ 本来の自分の声について http://nara-kiki.com/contents_141.html ボイスアートをお伝えしているわたしとしても、とても関心をもって、読みました。ご紹介です。 ーーーーーーーーーー 著者によると、日本人女性の声が世界各国の女性の声と比較しても、かなり高いのだそう。 そしてそこには、日本社会に根強くある「女は可愛く、従順であると好かれる」という価値観に、女性が大きく影響を受けているらしいのです。 「声」というのは、言わずもがな唯一無二のもの。 体型も違えば、声帯も1人ひとり違う。その1人ひとり違った身体があってこその、わたしの声。 どんなに「あの人」の声に憧れて、同じように声を出したくても、決して同じ声になることはないのです。 自分本来の声をなおざりにして、自分自身の声に耳を傾けることなく、周りの「価値観」に合わせた声を出していると、どうなるのでしょうか? 自分の心と身体はバラバラ。疲れる、いつも、なんだか落ち着かない… 筆者は、日本の若い女性の上ずったような高い声を「クレーン声」と名づけています。 最近では、若い男性ですら、地に足がついていないような、この「クレーン声」がよく聞かれる、と述べています。 自分がどのような声を出しているのか、そのことに無自覚に、自分本来と一致しない、他者に合わせた意識から声を出し続けていると、そのことが、そのひとの生活や生き方、その人の在り方に大きく影響していくでしょう。 ※ 本書では「声」そのものについて、日本の学校教育の中では取り上げられることがない、  そのことへの問題も言及しています。 本書の中には、筆者が関わったひとで、自分本来の声(オーセンティックボイス)を取り戻していった人たちが、どのように変化していったか、そんな例も取り上げられています。 それから、自分本来の声(オーセンティックボイス)に気づき、取り戻していくのに、最善のトレーナーは自分自身だとも。 自分の声は嫌い録音した自分の声を聞くのは、嫌だというひとは、多いです。わたしもよく、そのような言葉を聞きます。 しかし、著者はまずは「客観的」に、録音した自分の声を聴くことを勧めています。 最初は、どんなに「うへっ!!」と自分の声のことを思っても、どこかに、そのひと本来の声(オーセンティックボイス)で話している部分があって、それは自分にとって、自然で好ましく思える部分なのだそうです。 そのときの、自分の身体の状態やシチュエーションを思い出し… カウンセリングルーム樹喜 奈良・郡山駅すぐ |カウンセリング/ ボイスアート 2017-09-04T13:10:20+09:00