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  1. セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話
 

セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

2017/02/17 セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

日々の心や身体の健康をセルフケアについて、みなさまのお役に立てたら幸いです。

 

○ 呼吸のこと

○ どんなふうに物事を捉えていけばいいか

○ 考え方の整理など

○ 心と健康に関するセミナーや講演会、ワークショップなどの情報



 

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける3日目でした。

 

CAP活動を通しての子どもたちとの関わりは一過性のもので、

保育園の先生のように、ずっと同じ子どもたちと関わり続けることはないのですが、

各日ワークショップの時間の最後に、子どもたちとお話をする「トークタイム」という時間があって、

そのときに、子どもたちの色んな話を聴くことがあります。

 

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Aくんは、こんな話をしてくれました。

 

今日よりもっと前の去年のこと、園の運動会でリレーをしたけれど、

自分がレーンの線をはみ出してしまって、はみ出した位置に戻って走り直しになったせいで、

自分のチームのみんなに迷惑をかけた、自分のチームは負けてしまった、そのことが気になっている…

 

そんなお話でした。

 

大人が聞けば、

「そんな前の話をまだ引きずっているの?」

とか

「それはたかだか、保育園の《リレー》というゲームの中の話じゃないか」

とか

そんな風に片付けてしまいがちかもしれませんね。

 

Aくんにとっては、その小さな胸に、いろんな色あいの感情や気持ちを感じて、結果的には

「間違ってしまった、上手くやれなかった(レーンの線を踏んでしまって、やり直しになった)自分」を責めている、

そんな感じでした。

 

わたしはAくんの話を聴きながら、

「自分のせいで、チームのみんなに迷惑をかけた」と

幼いながらにいまだに、自分を責めるようなAくんの想いを思うと、

なんだか、Aくんを抱きしめてあげたい気持ちに駆られたのでした。

 

自分が線を踏んでやり直し、ということにならなければ、

チームが負けちゃうことはなかったかもしれない、って思うと、悔しかったんだよね。

そのときは、AくんはAくんの精一杯で頑張ったんだよね。

ズルをしたり、わざと線を踏もうと思って踏んだのではない。

みんなと一緒に勝ちたくて、頑張って走ってたんだよね…

 

って。

 

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大人のわたしたちも、Aくんのように

自分のしたことがどうしても認められない、

今のこの状況がいやだ、今の自分がいやだ…後悔、自責の念などの苦しさでグルグルすることもあります。


どうかそんなときに、できれば…

ほんの少し、そんな自分に「優しいまなざし」をむけてあげてほしいのです。

ほかでもない、自分自身に。

 

「いやいや、そんな優しさを自分に向けてはいけない?そんなのは、自分を甘やかすことだ」…

そう思われるあなたへ…

 

自分を叱咤激励したり、自分を省みて、

「ここはこんな風に上手くいかなかったから、次はこうすればいいなぁ」

とか

「次にむけて、こんな風にやってみよう!」

とか

客観的に起こった状況を見直してみて、気持ち的にも前向きに考えられるのなら、

それはそれで、OKなのです。

 

ですが、もしただただ起こったことを悔やむだけ

自分責めモードのサイクルから出られない、もしそうなら。

 

案外、自分自身に「優しいまなざし」を注ぐことは、

自分責めモードのサイクルから抜け出るのに、役立ちます。

 

   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしています

   そんな風に生きているわたしに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 

こんな風に、自分に声がけできるとするなら、

これは思いもよらず、自分の中に静かなパワーが漲ってきますよ。

 

もし自分だけではできない、というあなたは、

あなたがとても信頼できるひとに、心をこめて次の言葉をかけてくださいと、

お願いしてみてください。


   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、
    あなたはあなたなりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    あなたはあなたなりの最善を尽くしています

   うん、そんな風に生きているあなたに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 
ためしにやってみて、これらの言葉を自分の胸のうちに響かせたときに、

自分の身体の中に、こころの中に、どんな感じが起こるのか、味わってみてください。

 

コツは、心をこめて「本気」で、あなたに言葉をかける

そのことを行うことです。

 

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本気でやってみたけれど、

やっぱり自分に優しいまなざしなんて、今は向けられないよ… という、あなた。

きっと「今は」なのでしょうね。

 

どんなひともその人の、その時の精一杯を生きているのだ

その人の、大切な、その人でしかありえないその人生…

 

わたしはそう、信じています。




















 

 

 


 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける2日目でした。

 

昨日、CAPプログラムで伝えられている3つの「安心・自信・自由の権利」…

特に「自由に生きる権利(「自由」は本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)」について、

少しわたしが思うことについて述べさせてもらいました。

 

「権利」というと、なんとはなしに「義務」や「責任」という言葉がセットになってくること、

でもここでお話している「権利」は「義務」はないということ、についてもお話しました。

 

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今日はCAPのお話ではなくて、「責任」という言葉を中心に、

自分の人生を、自分の手にする感覚について、お話してみたいと思います。

 

みなさんは「責任」という言葉を聴くと、どんなイメージを持たれますか。

なにか責めを負う、詰め腹を切らされる、みたいな感じを持ちませんか?

少なくとも、わたしはそうでした。

 

ところで、責任という言葉ですが、英語ではresponsibility

つまり、ちょっと乱暴に言葉を分解すると、response(応答する)+ ability(能力)となります。

※いわゆる「何か起こったことにたいする責任を取る」という意味の英語は、accountabilityという言葉があてはまるようです。

 

この「責任」という言葉について、改めて英語を見てみたときに、「あ!」と気づきました。

決して、責めを負うという意味合いではなくて、○○に対して応答する「能力」なのです。



さて

「自分の人生を、自分の手にする感覚」についてですが、次の文を口に出していってみて下さい。

 

(A)  ・わたしは、そのパーティに行けません

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わることができない

    

(B)  ・わたしは、そのパーティに行きません。

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わりたくない(あるいは関わらない)

 

 

どうですか。

単に語尾の違いじゃないか、って思われる人もいるかもしれません。

 

言葉に出して言ってみて、みなさんの身体の中に起こる感覚…なにか違いはありますか?

もし、AとBでなにか感覚的に違う、って感じられるものがあるとすれば、それはどんなものでしょう?

 

 

Aパターンは「○○できる、できない」(can、cannot)という表現です。

Bパターンは「○○する、したくない、○○しない」(will、will not)という表現です。

 

実は、Bパターンで表現しているときは、

関わっていることに対して、ひとは「(自己)責任を取っている」のです。

関わっていることに対して、自分の「応答する能力」を発揮している状態です。

 

関わるか、関わらないか、そこにあなた自身の「意志(will)」があります。

そしてそれこそが、あなたの人生の舵を、あなたが取っていることになるのです。

 

みなさんにとっては、どちらの表現がより「自分の人生を、自分の手にする感覚」に近いでしょうか?
わたしにとっては、Bです。

 

A「できる、できない」パターンで言う言い方は悪くて、

B「したい(する)、したくない(しない)」パターンは良い、という話ではありません。

ときには、Aパターンでしかいられない…みたいな状態のときもあります。

 

Aパターンの表現が口癖だったり、「○○できない…」で落ち込んでしまっているとき、

一度、「○○しない」「○○したくない」のBパターンで言い換えてみてはどうでしょう?

少し、あなたの身体に起きる感覚が変わって、なにかが変わるかもしれませんよ。

 

ただし

Aパターンで居たいか、Bパターンで居たいか、これすらもあなたが選ぶことができます。

 

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CAPプログラムで伝えている「自由に生きる権利」があるときは、

「本当にしたいことを自分で選べたとき」だと伝えていますが、本当にそうなのだなぁ、と思うのです。

 

つまり、Bパターンで表現できる状態にある、ということです。

とても喜びに満ちて、こころも身体もパワーがある状態です。

 

願わくば、世界中の子どもも大人も、

「自由に生きる権利」が守られて、健やかであることを心から願っています。

































(↑CAPセンターJAPAN 2007年発行 「CAP イラスト&コミック版 サクセスストーリー」より)

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける1日目でした。

CAPプログラムでは、「ひとにはみんな生きるためにどうしても必要な3つの《権利》があるんだよ」

それは...

 

  安心して生きる権利 (「安心」は、いやなことや心配なことが何もないときの気持ち)

  を持って生きる権利 (「自信」は、今までできなかったことができたときの気持ち。心や身体が強くなったような気持ち)

  自由に生きる権利 (「自由」は、本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)

 

この3つの権利は「どんな人でも持っているんだよ」と、

どんな幼い子どもたちにもわかる言葉で伝えていきます。

 

ところで。

小学校や幼稚園、保育園でCAPプログラムを伝えていく中で、

ときおり「おっ???」と思うことがあります。

「みんな、どんな時に、あ〜自由だなぁ!って思う?感じる?」って聞いたときに、

すごく反応が薄いときがあります。

 

過去の小学校の子どもたちとの時間では、

「そんな時間な〜い。だって、習い事や塾で忙しいもん!自由な時間なんかな〜い!」

と、答えが返ってきたこともあります。

(最近では幼稚園や保育園に通う子どもたちも、「忙しい」のかもしれないなぁ…)

 

今日も、なんだか反応が薄かったです…

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていて。

 

なんだろうなぁ?時代の流れかしらん?

わたしはとてもそういう風潮?に危機感を感じるのですね。

 

大人セミナーなどで、CAPプログラムについてお話をするときに、

ときおり、こんな質問を受けることがあります。

 

「子どもに《自由に生きる権利ある》などと教えたら、なんでも好き勝手にやってしまって、

《責任》感もなく《義務》を果たさない好き勝手する子どもになりませんか」と。

 

多分「権利」という概念自体、日本人にとっては明治以降、海外から輸入されたものだったでしょうし、

「権利」というと思い起こされやすいのは、「責任」「義務」という言葉のセットです。

 

しかし、CAPプログラムで言う「全てのひとが生きるためにどうしても必要な《権利》」

というときの「権利」には、「義務」はないのです。

 

そして多分日本人が「責任」という言葉を聞いたときに思い起こすようなニュアンスの

「責任」もありません。

 

日本人にとって「責任」をとる、という表現の裏に感じるニュアンスは、

まるで詰め腹を切らされるような、少し追い詰められた重いものを感じないでしょうか?

 

(少なくとも、わたしもあることに気づくまでそうでした…

そのことについては【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】でお伝えしたいと思います)

 

そして、この記事で強調してお伝えしたいことの1つは、

 

自由に生きる権利がある」という実感のもとに感じる気持ちは、

「本当にしたいことを、自分で選べた」ときに生まれるものなのです。

しかも、そこには大きな「喜び」の気持ちが伴います。

 

他者(親や、子どもより力を持ちやすい者)から、コントロールされることなく、

「わたしが、僕が○○したい、○○しよう」という選択のもとに、行動したことに対しては、

その結果に対して「自分で責任をとる力」を徐々に育んでいくはずです。

 

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていると、

「自分で選びとるちからが自分にあるんだ」ということを知ったり、喜びに感じる体験がないのかなぁ、

と心配になります。

 

その「自分には、自分の選択で生きるちからがある」ということを味わう体験を奪っているのは、

もしかしたら、子どもをコントロールしたい大人?

 

誤解のないように、重ねてお伝えしたいのは、

「自分が本当にしたいことを、自分で選ぶ」自由は、他者のどんな迷惑も考えずに、

他者の「自由の権利」を奪って、自分の好き勝手にする…ということとは、別物です。

 

自分の人生を、自分の手にする感覚…

これは「《わたし》が選ぶ」この体験が大切、わたしはそう考えます。

 

 

【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】へ続く…



















前回のコラム記事「呼吸を意識する 〜セルフケアへの第一歩」で、

自分の呼吸を意識することは、簡単にできる心と身体のセルフケアへの入口、とお伝えしました。

本日はさらに一歩、深めます。

 

みなさんの心や頭は忙しくないですか?

同じことばかり、ぐるぐる考えていたり(ぐるぐる思考)、

心があるひとつの感情に囚われすぎていて苦しかったり(執着)




いわば「自分の悩みで、自分自身が占領されている」状態です(図A)

 

※A状態が極まると、不眠、食欲不振、倦怠感、やる気がおこらない、もやもやする、出口のないぐるぐる思考…などの症状が表れ始め、

 抑うつ状態に陥ります。

 

大抵、こういう状態のひとの呼吸は浅い状態です。

軸の通った太い呼吸ではないので、「自分軸」も揺らいだ状態です。

 

こんなときこそ、前回ご紹介した「自分の息を聴く」呼吸を行ってください。



悩みでいっぱいの自分と距離をとるために、

「自分軸」に還るために、自分の吐く息の音に意識を向けて、ただ聴く。

 

「我に還る」という言葉がありますが、まさしくそれです(図Bの左側の状態)

自分の呼吸の意識を向けながらも、いろんな考えやら、感情が湧いてくるかもしれません。

それは、それでいい、のです。

 

それらの考えや感情に

「今わたしは、自分の呼吸に意識を向けるね。あなたたちとはまた後で、取り組むからね」と、

そっとこころの中で、声をかけてあげます。

実際に、声に出した方がやりやすければ、声に出してもいいでしょう。

そうしてまた、自分の呼吸に意識をもどします。

 

そうすると、「自分自身」が「自分の悩み」と《間(マ)》が取れてくるのです(図B)

自分が一体、何にどのように悩んでいるのかが、少し客観的に眺められる余裕、ゆるみが生まれてきます。







普段から、ちょっとしたエクセサイズのつもりで、自分の呼吸(息)を聴くことをする時間をもつことを、

日々のご自身のセルフケアのためにオススメいたします。

 

わたしがカウンセリングやボイスアートなどで推奨している「呼吸」すなわち「息の道」は、

「自分軸」にほかなりません。

 

ひとはこの「自分軸」を育て、しっかりと「自分軸」に立つところから、

自分の抱える悩みと向き合い、問題と取り組み、自分自身の歩むべき方向がわかってくるのです。

 

 

生きている限り、ひとはいろんな出来事と遭遇しますし、

そのときにどうしたらいいか、悩むこともあってあたり前ですね。

 

ときには「自分の息の音を聴く」ことすらできないほどの大きな出来事に遭遇して、

途方にくれてしまうこともあるかもしれません。

 

もちろん、一人では解決しきれないと思える悩みに対しては

専門家の力を借りることも大切です。

 

それにしても、自分の呼吸を聴く(「自分軸」に還る)時間を持つことは、

あなたの人生において、あなた自身の生きるちからを育み、高める、といっても過言ではない、

と、わたしは考えています。






 










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